ソロキャンプで使った道具たちの感想とねこのキジトラの日常

コミュ力という不思議

先日、
上司やクライアントからの指示に対しての返答の言葉として、
「承知しました」と「了解です」の使い方についてTwitterで軽い賛否が交わされていた
それぞれの言葉の適正を知っていてあえて、使い分ける人もいると思うので
あまり「普通」という言葉は使うべきではないと思いつつも
あえて使わせていただくと
「普通」、承知しましたが正しいと思う
ただ、よく知らないで使い分けられないのに、
「どっちでもいい」というのは話が違うんじゃないかという感想を持った。
ここからが本題で・・・
先日、もっと根本的なエラーというか
コミュニケーション能力に問題ありとされて
せっかくの好条件のフリーランス仕事を切られてしまうことになった人がいた
(本人は切られた主な理由におそらく気づいていない)
返事をするかしないか、
話の内容はちゃんと把握したのかどうかを言葉として返す、
ただそれだけのことが難しいんだろうか?
これは「やるかやらないか」という、いわば怠慢の話で
「できるかできないか」の問題ではないと思う
「そんな細かいことで切る方がありえない」という感想もありそうだけど
むしろそんな程度のことをサボらなければいいのではと思い、
ただただもったいないと感じた。
コロナが蔓延して以降、ビデオミーティングが爆発的に普及して結構な時間が経過した。
仕事の内々のミーティング、つまり立場は対等なはずのメンバーでのミーティングであっても、
相槌を打たないメンバーがわりと多い場合
そのプロジェクトはモチベーションが低そうな印象を持つ。
やはり、活発なチームは全員が当事者意識が強いため
ただ聞き流して相槌もない、ということが少ない
自分が喋る立場だったとして
誰も相槌打ってくれなかったらシンプルに寂しいと思うだろうし、
特別問題がないはずであっても、
「なにか内容に問題があったのか?」と
いらぬ気をもんだりしてしまうかもしれない。
いずれもいいことはまったくない。
 
太鼓持ちとかヨイショなんてものは必要ないし、
むしろしないほうがいいくらいだけど
相槌や返事というものは
もっと根源的なやりとりじゃないんだろうか
それすらもしないというのは、
よほどの実力派なのか、ただやる気がないのか、
ただ知らないだけなのか・・・?
いずれにしても、マイナスの印象はあってもプラスの印象はさほど無いのでは・・と思う
一対多で喋る構図となりやすいミーティングや講演時、
オーディエンス側の反応や相槌が無い時に
「大丈夫ですかー?」という声掛けを上手に、笑いを交えて演る話し手がいると思う
たしかに、
プレゼンや講演会やセミナーであれば、話の内容に興味を持たせるべく
そういった話術を身につけるべき立場の人もいるとは思うけども、
ことは内々のミーティング、
メンバーが全員対等な参加者であるはずの仕事の打ち合わせであり
誰もお客さん的立場のメンバーなどいない状態であっても、
ろくに相槌や返答などの反応が薄いために
話し手のほうが一方的に気を使って「コミュ力」を発揮しなければならないとなれば
それは実に無駄な機会だと思うし
無駄な格差を生む要因ですらあると思う。
なにしろ、大げさに書いているけども
ことは単純、「相槌を打つか打たないか」の差だけで
「好条件の仕事をはずされることになるかならないか」の差にもなり得るというケースだから・・・
仕事におけるコミュ力には様々なものがあると思うけど、
上記の例で言うならば
聞き手側がちゃんと反応しているのがわかればたいした話術は必要ないわけで、
この場合上手な話術を要求しているのはむしろ相槌をろくに打つことができない聞き手のほうであり
「コミュ力」なんていう抽象的な物がことさらに要求されるようになったのは、
こういった当たり前のやりとりをサボる人たちが増えてきた結果なのではないか?
と、
そんなことを考えてしまう、
とてももったいない人を見たという話

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